現在アメリカ合衆国における
シェアNo.1ブランドとして
確固たる地位を築いている「ペンズオイル」について、
その歴史を探ってみよう。
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1880年代
人類が「自動車」という文明を生み出し、それを使用してレースという競争を始めたのは、約100年以上前のこと。このときから「PENNZOIL」ペンズオイルは、誰よりも速くチェッカーフラッグを駆け抜け、そしてモータースポーツの歴史に名前を刻むことを使命としてきた。ペンズオイルがレースを育て、レースがペンズオイルを作ったといっても過言ではないだろう。
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1930年代
1930年代、ペンズオイルは「ラッセル・スノーバーガー」のメインスポンサーとしてINDY500インディアナポリスサーキットに登場した。ラッセルはその後5年間、出場するすべてのINDYレースでトップ10に入賞し、輝かしい記録を残すことになる。
この間に、INDYレースでは27名のドライバーたちが自ら進んでペンズオイルを選び、レースで使用し始める。ペンズオイルをレーシングオイルとして確固たる位置付けにしたといってもいいだろう。 -
1960年代
一方、ペンズオイルは、ドラッグレースの黎明期からスポンサーとして全面的にオイルを供給し、ペンズオイルの「楕円マーク」はアメリカ中でドラッグレースの代名詞となるまでに浸透することとなった。
そして急速に人気を博し一気にメジャーとなったドラッグレースNHRAにおいて、重鎮ドン・“ビッグ・ダディ”・ガーリッツ、コニー・カリッタ、ビル・“グランピー”・ジェンキンス、ドン・“ザ・スネーク”・プラドオム、ジャック・ラウシュといったNHRAのトップネームたち選ばれていくことになるのである。 -
1970-80年代
1970年〜80年代、ペンズオイルアクロバティック飛行で名をはせた「U.S.エアロバティックチーム」と共に航空機コンペにおいて世界チャンピオンとなった。さらに、エディ・ヒルと11年間に渡りドラッグボートレースにも出場し、世界記録である「プロペラ駆動ボートによる最高速」=229mph(時速368km)を達成し、ギネスブックに掲載された。そして、この時代の高速ボートレースでは、「ペンズオイル Grade 70」なくしてはレースに勝てないとまで言われたものだった。
1979年、ジム・ホールとアル・アンサーが「エアロダイナミクス」と「グランド・エフェクト」を応用した画期的なニューマシンで登場した。全身をペンズオイル・イエローに塗られたこのマシンは、近代フォーミュラレースカーの基礎となった最先端のデザインで、他を寄せ付けない圧倒的なパフォーマンスを示したのだった。翌年にはジョニー・ルーサーフォードがインディアナポリスで劇的な勝利を上げ、年間最優秀ドライバーにも選ばれたのだった。
1983年からは、ペンズオイルはロジャー・ペンスケチームとコラボレーションを開始し、INDY500で優勝をかっさらう。その後ペンズオイルのINDY支配は続き、5年のうち4回の優勝という記録を残した。さらに1985年には、アル・アンサーがXART PPG インディーカーのワールドチャンピオンを獲得する。 -
1990年代以降
ペンズオイルは1995 年のナショナルチャンピオン、ジョニー・ペンソンを擁し、1996 年のウィンストンカップ・ルーキーオブザイヤーを獲得した。もちろんこの年も、INDY500 マイルレースのオフィシャルスポンサーとしてインディアナポリスを黄色に染めたのだった。
その後、ペンズオイルはNHRA だけでなく、INDY500 やNASCAR のオフィシャルスポンサーとして、トラックサイドになくてはならないものとなっている。
日本ではPENNZOILNISMO GT-R(スカイラインGT-R・BCNR33 型)で、1995 年より全日本GT 選手権(JGTC)に参戦。1998 年JGTC のGT500 のワークスカーは、2,568cc から2,708cc へ拡大して最高出力500㎰以上に達したエンジンを搭載して参戦。エリック・コマスと影山正美組のドライブでシリーズチャンピオンを獲得。 -
2000年代以降
アメリカのレースシーンでさらなる活躍を果たす。INDYCAR では「TEAM PENSKY」とのパートナーシップによりレーシングオイルを提供。シリーズでは、2014 年ウィル・パワー、2016 年サイモン・パジェロ、2017 年ジョセフ・ニューガーデン、2019 年ジョセフ・ニューガーデンにシリーズチャンピオンとなり圧倒的な強さを発揮。
NASCAR でも2012 年ブラッド・ケセロフスキーがトップカテゴリーのモンスターエナジーカップチャンピオンとなる。2013 年よりジョーイ・ロガーノとチームを組んで以来、8,000 周以上リードし、チェッカーフラッグを39 回受ける。ジョーイ・ロガーノは、2015 年にデイトナ500 を勝利しNASCAR フラッグシップレースで優勝した2 番目に若いドライバーとなる。2018 年モンスターエナジーカップのチャンピオンとなる。
TEAM PENSKY の輝かしい栄光ともにPENNZOIL は、すべてのラップを刻んでいる。